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人はなぜ村上春樹の小説を読んで癒され救われるのか

テキスト: 「ブックハウスゆう」 斎藤祐 / 撮影: 村上宗一郎

一人の作家が国境を軽やかに飛び越え、世界40カ国以上の国々で読まれている。すごいことです。

今日常現実生活の中でその場その場を妥協しながら生活していると、日常レベルで意識が強すぎてアップアップの状態になる時がある。すると耳に心地良い言葉も信用できなくなって、進歩すればするほど悩みや不安が増大してくる。すると、孤独感からストレスとなって、人が人に対して普遍的条件が伴わなくなっていく。魂は乾き、心のよりどころを求めるようになる。

春樹さんの小説を読んでいくと自分が思っている以上にもっともっと深い意識があることに気付く。濃密な地下の向こう側の世界で考えて想像し、そして元の場所の日常的リアリズムにもどってくるのです。その現実の世界から自由になる感覚が生まれ、自分の心を自然に写す鏡のようにそして、癒され救われるのではないでしょうか。それが春樹の物語なのでしょう? 

◎河合隼雄は春樹さんについてこうも言っている

春樹さんの小説の中に音楽がよく流れている。それは言葉でいえないことを音楽が表現している。孤独、悲しみ、楽しさなどその心が春樹さんの文学に浸透して、心は目には見えない形も重さもないが、言葉と音がつながってその中に入って、心を自然にうたっている。癒されることもある。

夏目漱石の「こころ」の小説の中に、「私は暗い人生の影を遠慮なく、あなたに投げかけてあげる。恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめてその中から参考になることをつかみさない」…すると救われるのです。

◎村上春樹さんは最近こんなことを言っている

今の若い人は世界が良くなるなどとは思っていない。むしろ悪くなるだろうと思っている。簡単には言い切れないが、僕は、人は楽観的になろうという姿勢をもたないといけない。理想主義は人と人をつなぐものですが、それに達するにはぎりぎりのところまで一人に(孤独)ならないとむずかしい。僕らは60年代に持っていた理想主義を新しい形に変換して、若い人に引き渡していくことも大変な作業です。そういう若い世代に向けた小説を書きたい。

もしかしてこんどの小説は、理想主義、楽館的、孤独、責任などが入った、「若者よ元気を出せ」的な物語かもしれない

◎勉強会の疑問

昨年ノーベル賞発表の日、千駄ヶ谷でカウントダウンを初めて計画、開きました。その前後、(マスコミ)特に文芸評論家の人の中には純文学でないのでダメ、大衆的で底が浅いとか思想が入っていないとか主張する人がいました。いま現在も文芸評論家たちから無視さえているようにも見えます。どうしてでしょう(勉強不足の勉強会です)。

どうして文学について純文学、大衆文学、日本文学、英米文学といって優劣をつけるような発言をするのか、それぞれの境界はどこなのでしょうか。私たちが思うには村上春樹文学には人間の持つ、もしくは若者が直面している心理的深みがあり、理想主義の平和の思想が入っている。また、純文学大衆文学をあえて超える、新しい日本文化の現代文学が生まれているのではないでしょうか。大げさですか。

◎NHKテキスト「英語で読む村上春樹」の中で

翻訳をめぐる内容で、藤井光さんが連載で書いていました。それは日本を舞台にした作品ケリー・ルースの「山田さんのトースター」、マイケルガリーガの決闘の書、デイヴィッド・ミッチェルの「ミスタードーナツによる主題と変奏」など、英語で書いた作品を藤井光さんが訳したのですけど、なんか春樹的リズムがあるようだ。「世界にいろんな文化や幻想と現実、その中間の場所に留まろうとする感覚の作家が、村上春樹を筆頭に、今世紀ますます増えつつある」と書かれています。

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