勉強会

千駄ヶ谷と村上春樹

テキスト: 「ブックハウスゆう」 斎藤祐 / 撮影: 村上宗一郎

◎京都に生まれ(昭和24年)、兵庫県西宮市芦谷市で高校まで過ごし、それから上京、早稲田大学第一文学部に入学、目白の学生寮から練馬、三鷹、文京区千石と引っ越し、アルバイトは新宿のレコード店などで生活していた。

卒業前、学生結婚して、昭和49年国分寺でピーターキャットというジャズ喫茶を開店。オーナーとして出発した。のち、昭和51年頃千駄ヶ谷に「ピーターキャット」オーナーとして移ってきて、夜遅くまで一生懸命頑張っていました。それから2年たったころ、好きな神宮球場外野席でビールを飲みながらヤクルトスワローズの応援していた、その観戦中、ヤクルトのヒルマン選手がヒットを打ったとき、唐突に啓示を受けたごとき“小説を書こう”と思ったそうです。

それから毎晩、千駄ヶ谷のピーターキャットの店を閉めてから、キッチンのテーブルに向って書き始めたのですが、なかなか書けなったそうですが、自分の体に染み込んでいる音楽からヒントを、良いリズム、ハーモニーそしてメロディなど文章だって同じではないかと思い、それから楽にペンが進むようになって小説を書き始めた。

1年ほどでビーチボ-イズのカリフォルニアガールズの歌詞…イーストコーストの娘はイカシテル…ファッションだってご機嫌さ…を表紙にのせ、「風の歌を聴け」デビュー作を出版。その年、第22回群像新人文学賞を受賞し、千駄ヶ谷から世界の作家村上春樹が誕生した。

2作目は「1973年のピンボール」、第3作目は「羊をめぐる冒険」を書きあげ、この3部作が同じような形式的で春樹の小説の原石のような作品となった。ジャズ喫茶「ピーターキャット」を売却し、32歳で専業の小説家として出発した。

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◎昭和57年6月、小原流挿絵に「私の緑地図 村上春樹」小論を紹介してくれた。

出発点は千駄ヶ谷の鳩森神社である。

僕は去年お夏までこの神社の隣に住んでいた。それほど大きくないが親しみのもてる神社である。地域との結びつきも強く、いわゆる「千駄ヶ谷村」というこぢんまりしたコミュニティーの中心としての機能をうまく果たしている。また、マンションラッシュの中で急速に失われていった昔ながらの千駄ヶ谷の緑をしっかり守っている場所でもある。千駄ヶ谷という土地の中で僕がいちばん好きな場所である。この神社の樹木は不思議に樹形が美しい。幹はまっすぐで、枝ぶりには風格があり、葉はつやつやとしている。たいして珍しい木があるわけではないが、この神社の庭に座っていると、いつもほっとした気分になる。押しつけがましさのない、さらりとした緑である。入口の桜の花はすっかり散ってしまっていたが、八重桜はちょうど満開である。紫もくれんも一輪だけ綺麗に残っていた。神社の奥様の話によれば、この神社の樹木は1945年の空襲で数本の大銀杏を残して焼けてしまったそうである。焼け残った樹齢数百年という大銀杏は今でもその巨大な枝を空に広げているが、それ以外の樹木はすべて戦後になって少しずつ植樹されたものである。マンションにするために、とりこわされる屋敷の持ち主が寄付したものや、種子が風や鳥に運ばれて勝手に根付いてしまったものも少なくない。そんなわけで木の種類は雑多だが、手入れが行き届いてるおかげで散漫な印象はまったくない。昔風に言えば書生の若い人が地面をはききよめ、年二回の祭の前に樹木屋が入る。その費用だけで80万円はかかるとのことである。神社の庭にはしい、さかき、黄梅、もち、ざくろといった木々がほどよく並んでいる。わずか2,30年で育った木々とは思えない落ち着きがある。またそこには人工的な公園の樹木林にはない、やさしが漂っている。逆に言えば20年あればこれだけの緑が育つのだ。要するに質の問題である。ただやたらにたくさん木を空地にならべればいいというものではないし、木が巨大あればいいというものでもない。ある時には心のこもった、たった一本の木が人の心を慰めることだってあるのだ。

村上春樹

◎村上朝日堂…お正月は楽しい

東京の都心に住んでお正月を迎えるくらい楽しいことはないんじゃないかと僕は思う。
僕は千駄ヶ谷に住んでいたのだけれど、このときはほんとうにお正月が面白かった。
まず大みそかの夕方に歩いて六本木の狸穴(まみあな)そばに行ってそばを食べ、新宿に出て酒を飲み歌舞伎町をぶらぶらして映画を見る。それから原宿に行って東郷神社でおみくじを引き、喫茶店に入ってコーヒーを飲み、レコード屋でオールナイトバーゲンをのぞき、屋台でたこ焼きを食べ、千駄ヶ谷に戻り、鳩森神社でお神酒をいただいて家に帰る。

◎村上朝日堂の逆襲…何故私は床屋が好きなのか

個人的な話をすると僕の行きつけの床屋は千駄ヶ谷にある。僕は今のところ藤沢に住んでいるが二ヶ月に三回の割合で小田急のロマンスカーにのあって千駄ヶ谷まで髪を切りにくる。藤沢の前は習志野に住んでいた。その時も1時間半をかけてこの床屋に通っていた。習志野に行く前は千駄ヶ谷のこの床屋の近所に住んでいた。

◎村上朝日堂はいほー…床だって屋で肩こりについて考える

床屋は千駄ヶ谷のナカ理容室です。マスターが「村上さんは肩がこらないんですね。これぐらい筋肉のやわらかい人ってあんまりいないですよ」と床屋にときどき言われる。どうしてだろうと僕は思う。両親も肩のこる体質の人だったし、女房もそうだ。僕だけ全然こらない。「いろいろ肩をもんでますけど、いちばん肩がこる人っていうと、それはなんといっても将棋の棋士の方ですね」と床屋さんがいう。僕の行く床屋は将棋会館の近くなので将棋をさす人がよくくる。あれだけ肩のこっている人ってあんまりいないね。もう石みたいにこちこちです」という。きっと頭を使うせいなんだろうと僕は思う。待てよ、考えてみたら僕だって一応小説家だ、そこそこ頭を使っているんだけどなーと思う。小説を書くというのは将棋をさす人より頭を使わない作業なんだろうか?

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◎読者と村上春樹フォーラム…題名言い違えクラブ

読者…単行本コーナーに学生風のカップルがいたのですが、棚を眺めている眼鏡の男の子に向かっていかにも元気そうなショートカットの女の子が言ったのです。
「ほら村上春樹あったよ。うみべのちからだって」結構大きな声だったので思わず振り向いてしまった。それは「海辺のカフカ」の上巻だった。帯が上の方にズレていて「海辺の力 村上春樹」と読めるようになっていた。彼氏の方はなんだか恥ずかしそうだった。地

春樹…海辺の力はとてもいいですね。ほのぼのしています。僕もけっこう昔ですけど、同じ風景を千駄ヶ谷商店街の小さな書店で目にしたことがあります。小さな男の子が「鹿のつの」という本をくださいと書店のおじさんに言うけれど、そんな本はなくて、おじさん長い時間をかけていろいろ聞き出して、それが灰谷健次郎の「兎の目」だとやっとわかりました。「鹿のつの」から「兎の目」まではけっこう距離がありますね。でもそういうのってほのぼのしますよね。小さな書店のいいところです。

書店のおじさん…私はジャズ喫茶(ピーターキャット)のころ、“おはよう”“こんにちは”“天気いいですね”と春樹さんと挨拶程度だったけど、今思うとなんだか、たくさんお話したような気がします。それは説明できない心。表情に偽りのない春樹さんの人間性かと思っています。

◎世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド…春樹の作品から千駄ヶ谷の街を想像してみましょう

未来の東京は終末の予感。そのデータ精神的暗号をめぐる計算士と記号士の競う隠された秘密を探す冒険、それと、森、壁に囲まれて、その中で一角獣の頭骨から夢を解読、ひっそりと静かな幻想的な世界、この二つの物語が同時進行して最後に結び合う、不思議な物語です。場所設定は深読みで千駄ヶ谷ではないでしょうか?

まず明治神宮、神宮外苑、新宿御苑、緑に囲まれていて、一角獣は外苑にあり、文中に「一角獣が絶滅をまぬがれるには、土地が高く隆起しているか、あるいは深く陥没していることが外輪山のようにまわりを高い壁で囲まれていること」
地下の幻想的世界から出る通路は千駄ヶ谷のホープ軒、河出書房、ビクタースタジオの下を通らなければならない、地上では自分の住んでいる近くに「ナカ理容室」床屋があると、また地下にやみくろの巣は国立競技場の下の手前あたり、もしかしてピーターキャットの下も入るかも。一角獣は東洋では平和で静かでおだやかな聖なる動物であるとされています。春樹さんは頭骨から平和をさがしているのでしょう!!

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