勉強会

村上春樹「風の歌を聴け」をもう一度読んでみませんか?

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テキスト: 「ブックハウスゆう」 斎藤祐 / 撮影: 村上宗一郎

千駄ヶ谷で突然小説を書き始めたころ春樹さんの心には何かが起こっていたのではないでしょうか。

学生時代からたくさんの小説を読み、たくさんの音楽を聴き、大学の卒論ではすばらしい文章を書いたという春樹さんなので、自然に書くことについては何の抵抗もなかったと思いますが・・・失礼かと思いましたが無理に想像しました。

…ふるさと…

もしかして、その時の春樹さんは心の中に思うことがあった。親に対して、友人同級生に対して、育った街に対して…ふるさとが気になっていたのでは!

大学はちょっと長く、学生結婚。会社に入らず、喫茶店を開いて、エリートの春樹さんはどうしたのか、どうなっちゃたのか、と故郷のみなさまが思っているのでは。

ふるさとに帰ろうかな…しかし、帰れない

そこで物語を作ってみよう、夏休みふるさとへ帰る…だんだん物語を作っていく中で自分が(あるいは自分の心が)救われるような気がして小説家へと進んでいったのかな?

私には小説をまったく読み解く力はありません。ただただ想像するだけです。また、『風の歌を聴けの』謎解き本はたくさんの人が出版しています。その中で、書き手本人は小説のなかですでに7年前に死んでいるというのが定説になっています。しかし、春樹さんは上京してから7年間、ふるさとを忘れかけていた。帰れない。ふとふるさとに帰るには、自分の心を殺して文章の中へいれてみよう。小説のなかの死は、肉体的死でなく、心の死をもってすべてに自分をいれたのではないでしょうか。そして最後にねずみに、本当の自分を入れたのでしょう。僕も本人、ねずみも本人、1.5人称となるのでは?想像しました。

※安西水丸さんが春樹さんに、神戸は小説を書く上で相当影響を受けましたかと聞いたら…うーわからない、しかしある種の雰囲気みたいなものはありますね、特にあーゆー街って…?と春樹さんはいった。しかし、神戸の好きなところは洋食屋さん…おばさんがドタドタきてすごく気楽に注文を聞く。だけど出すものはキチンとした本物で要するに気取っていない。身についた気安というモダニズムがあるよ。東京はちょっと気取っていて、黒服のウェーターがきてスープはワインはこうだあーだと自分には合わないよ

◎本屋のおじさん今思うこと、村上春樹さんについて

春樹さん「風の歌を聴け」を出版、作家デビューのピーターキャットのころ、その時代に作品について賛否両論がありました(お店でお客様とよく作品について話しました)
年配の方々は…漱石はいいね、狐狸庵はおもしろい、安倍公房、吉行、芥川そうそう三島も…などと話していました。で、村上春樹は…本当になんだかわからない、と言っていました。

しかし同世代の方々は、すごい、なんか違う、本屋さんサインもらって…とよくいわれました。

最近新刊がでるたびに大騒ぎになります。しかし、けなすだけの批判、批評が多いように思いませんか。新聞ラジオネットなどで堂々と、この作品は駄作だ、読まないほうがいいとばかり得意になっている。偉いですね、作品を見ているだけでなく読んでから、この小説は自分に合わない、それだけでいいのではないでしょうか。また現存のマスコミ、出版社など腫れ物に触るような沈黙がありませんか?

私素人が思うには心孤独な時代、今が春樹さんの作品を読んでもらいたい。特に若い人たちが心のよりどころとして求めてもらいたい

―初期の短編からどうでしょうか―

◎風の歌を聴け 出版にあたって吉行淳之介の評

この新人の作品は近来の収穫である。乾いた軽快な感じのそこに内面に向ける眼があり主人公はそういう眼をすぐに外に向けてノンシャランな態度を取ってみせる。そこのところを厭味にならずに伝えているのはしたたかな芸である。ただ芸だけでなくそこには作者の芯のある人間性も加わっているようにおもえる。丸谷才一は日本的叙情だと評し、高く評価している。

◎インタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」から

ある新聞の書評委員からほかの委員や新聞記者のあいだで春樹さんの評判があんまり悪いので、心配して連絡をくれたときがあったそうです。「ちょっと聞くに耐えないようなことが言われている」とは、いったいどんなことか?

もし僕の小説のなかのある登場人物が、ある現実の人をモデルにしていると強く声高に主張する人がいると事実ではないので「それは違う」と明らかにしなくてはならない。批評の中に明らかに事実誤認と思える意見や悪意のある曲解みたいなものがある…一人歩きして世間に設定されるケースもある。こまる!!!

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